吹奏楽もぐら
 

私の音楽歴
小学校6年生
(その3)

 6年生の卒業直前のことだったろうか,ひょっとしたら冬休みのことだったのかもしれない。音楽の先生に,私を含めた数名が呼ばれた。学区のN中学の吹奏楽部の先生が「音楽に興味がある子を吹奏楽部の見学によこしてくれ」と言っているので見学に行ってみたらどうか,という話だった。いわゆる「青田買い」というものですな。他の部活の顧問の先生から苦情が出なかったのだろうか。毎年部員の確保に悩む私としては,この方法が許されるものならやりたいものだ。話はそれるが,うちの中学の定期演奏会でもパーカッションのエキストラを使う場合が多い。他の部活の3年生はもう引退しているので,その中からパーカッションがやれそうな人にエキストラを頼むのだ。定期演奏会でエキストラをやってくれた生徒は,高校へ進学してから吹奏楽部に入るケースがとても多い。高校で入るのなら,中学で入ってくれればよかったのにと思う。中学でエキストラをやった人が高校で吹奏楽部へ入ってしまうということは,吹奏楽って一度経験するとハマってしまうってことなんじゃないだろうか。小学校6年生に吹奏楽部の体験入部をさせれば,新入部員が増えるんだろうなあ。
 さて,当時の私は「青田買い」なんてことはぜんぜん考えなかったので,喜んで見学に行ってしまった。クラリネットやらコルネットやら,いろいろ吹かせてもらったような気がする。それで私は,N中学へ進学して吹奏楽部に入ることしか考えなくなってしまった。N中学の隣には地元の国立大学の附属中学校があり,いわゆる「頭のいい子」はそこを受験するケースが多かった。親の中には,附属中学へ我が子を入れることに必死になっている人も多かった。「お受験」は,この頃からあったのだ。私が大人になってから,実は私の母親も私を附属中学へ入れたいと内心思っていたと聞いた。でも,私はN中学の吹奏楽部しか頭になかったから,附属中学の「ふ」の字も口にしなかった。だから,母親も附属中学を薦めることはできなかったらしい。ということは,やっぱり見学は冬だったのかな?
 吹奏楽部が気に入った私は,また見学にいった。そのときは私一人だけだった。他の子は2回行くことはなかったのだろう。私だけが変わり者だったのだ。そのときは,ユーフォニアムを渡されてそれを吹いていた覚えがある。ユーフォニアムをやる生徒がほしかったようだ。
 その当時の顧問はS先生。N中学のS先生と言えば,このあたりの吹奏楽関係者では知らない人はいないのだろう。まだ子どもだった私にはよくわからなかったが,S先生はN中学に赴任したばかりで,吹奏楽部を育てようと一生懸命だったらしい。この何年か後に,N中学は全国大会の常連になるのだが,私が入部したのはその上り坂がちょうど始まる時期だったようだ。
 この「青田買い」にまんまとひっかかったために,私は吹奏楽にのめり込むことになるのだ。

2004.08.14.(Sat.)