吹奏楽もぐら
 

私の音楽歴
小学校5年生

 5年生のときだった。「器楽クラブ」という放課後に活動する特別クラブを作るという話があった。当時,6年生は「クラブ活動」という時間があって器楽クラブもあったのだが,5年生まではそういうのがなかった。特別クラブは5年生だけが参加するということだったから,市内音楽発表会に参加するために集められたのではないかと思う。
 私は音楽をやりたいという気持ちはなかったが「クラブ活動」というものをやってみたいと思ったので,すぐに加入を希望した。
 器楽クラブでは,初めの頃は校歌や「若い力」をやっていて,市内小学校球技大会みたいなものの開会式で演奏したりした。菜箸で小太鼓の練習をしていた記憶がある。
 市内音楽発表会で演奏した曲は,チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の第1楽章だった。当時は何も思わずに練習していたが,今にして思えばすごい曲をやったものだ。リード合奏用の編曲も,このために誰かに依頼したようだ。手書きの楽譜だった。
 この曲をやるために,あらためてパート分けがあった。リード合奏だから,ハーモニカや鍵盤ハーモニカ,アコーディオンなどがあるのだが,その中にコントラバスがあった。私は,その楽器を見て衝撃に近いものを感じた。
「オーケストラにあるのと同じ楽器だ!」
実際には,4分の3スケールのコントラバスだったが,どうしてもそれを弾きたいと思った。コントラバスは,2台あった。コントラバスの希望者は,私を含めて3人いた。
 コントラバスは初めての楽器なので,昼休みなどに顧問のM先生が私たち3人に弾き方を教えてくれた。
  何日かして,実際に先生の前で演奏してコントラバスを弾く2名を選ぶということになった。その日の昼休み,私たち3人とM先生は,器楽準備室に集まった。M先生が,「きらきら星」を弾くようにおっしゃった。私たち3人は,順に弾いた。3人が弾き終わって,M先生は,「先生には2人を選ぶことができないから,あなたたち3人で決めなさい」とおっしゃって,職員室へ戻ってしまわれた。残された私たちは他の2人に譲ることなど考えるわけもなく,ただ時間だけが過ぎていった。
 結局,クジ引きという最も平和な方法で決めることになった。
 その結果,私がハズレを弾き,バス・アコーディオンをやることになった。
 希望のコントラバスを弾くことはできなかったが,ここでの音楽との出会いは文字通り一生を左右するものとなった。当時,私たちの中では男の子が「音楽が好きだ」と言うのは恥ずかしいものがあったのだが,それでも私は「音楽が好きだ」と言うようになったのだ。

2002.08.24.(Sat.)