数学もぐら
 

忘れられない教師の一言


 中学3年生の時だったと思う。
 私は,クラスである教科の教科係をやっていた。教科係の仕事は,教科担当の教師にご用聞きに行ったりすることと,授業の始めにワークブックの答え合わせをすることだった。当時の教師は,授業が始まってもすぐに教室には来ず,授業開始時刻から5分ぐらいたってから教室に入ってきた。教科係は,授業開始時刻になったら教卓の所へ立ち,ワークブックの宿題の答え合わせをするのだ。クラスメイトを順番に指名していき,「○○さん,1番の(1)の答えを言って下さい」「答えは●●です」「いいです」という具合にやっていくのだ。そんなことをしているうちに教科担当の教師が教室に入ってきて,教師用の椅子に座ったりしてその様子を見ている。答え合わせが終わると,授業が始まるという具合だった。
 ある日の授業のとき,いつものように答え合わせをやっていると,いつものように教科担当の教師が教室に入ってきて,これまたいつものように教師用の椅子に座って答え合わせの様子を見ていた。
 答え合わせが終わって,私が自分の席に戻ろうとしたとき,その教師が呼び止めた。
「おい,××(私の名前),お前,まさか将来教師になろうなんて思ってないだろうな?」
 当時の私は歯科医になろうかと漠然と考えていた程度だったし,その教師の言い方にカチンときたので,ぶっきらぼうに返事をした。
「違います!」
 すると,その教師はこう言った。
「そうか,それならいいだけぇんな。お前のようなやつに教わったんじゃぁ,生徒がかわいそうだ

 何の因果か,私はその「教師」になってしまった。その教師が私の何を指して「お前のようなやつ」と言ったのかは今でもわからないのだが,とにかくその教師に言わせれば,今年も百数十名のかわいそうな生徒がH中学で学んでいることになる。私も今年で教師生活が23年になる。「ド根性がえる」に出てきたあの先生は,何かあるたびに「教師生活25年……」と泣いていたが,あと2年でその「教師生活25年」になってしまう。23年も教員をやっていると,「かわいそうな生徒」はかれこれ3000人ぐらいになるのだろうか。

 一つだけ,その教師のおかげで救われたことがある。
 大学の教育学部に進学した私は,一応教育学部生らしく,何冊もの教育に関する本を読んだ。ところが,いろいろ読んだり勉強したりしていくうちに,教育という仕事がとても大切で責任の重い仕事だということがわかるようになり,すっかり自信を失ってしまった。「俺みたいな人間が,教師になっていいんだろうか。俺みたいな人間に,教師が務まるんだろうか」と思うようになったのだ。
 ところが,中学校のときのその教師のことを思い出して,私は立ち直ることができた。「あいつにできたんだから,俺にだってできるわい」 と思ったのだ。
 もちろん,その教師に感謝しているわけではない。それどころか,正直なところ,「あの教師にさえ教わらなかったら……」と思ったことは一度や二度ではない。
 振り返って,今の私自身はどうなのかな?「あの教師みたいにだけはならないように」と思いながら,今日も教壇に立っているのだけれど……。

2004.12.17.(Fri.)